いつの時代もおっさんはグダグダ語る

インドア趣味のおっさんがなんとなく思ったことを書いています。

ゲーム・オブ・スローンズが終了して①

 

ここ数年の海外ドラマで1番話題になったものといえば、「ゲーム・オブ・スローンズ」で間違いないだろう。

 

壮大なスケールで描かれた世界観、詳細な人物描写、リアルなアクション、精密なCGなど、その魅力は枚挙にいとまがない。

 

エミー賞受賞最多作品なのも十分うなずける内容である。

 

もちろん万人から高評価を得ているわけではなかったが、ほとんどのドラマファンは高評価だったと思う。

 

 

 

だが今年最終シーズンが放送終了後、その評価はかなり変わった。

 

「最終シーズン(またはその前シーズンから)のストーリー展開や結末が納得いかない」という意見が見られるようになった。

 

海外のファンにいたっては、最終シーズンの内容変更を求めて100万以上の署名が集まったという。

 

 

 

なぜこのようなことになってしまったのだろうか?本当にストーリー展開はよくなかったのだろうか?

 

ここでは本編内であまり詳しく説明されてないことについて考察し、そこから「ゲーム・オブ・スローンズ」最終シーズン(またはその前シーズンから)のストーリー展開の良し悪しについて考えていきたい。

 

 

 

「俺のポケットには何がある?」

昔は「パワータイプの主人公の仲間」ポジションのキャラクターが好きだった。

 

ブラックエンジェルズ」の松田鏡二、「孔雀王」の王仁丸など。

 

単に好きなだけでなく、肉体の強さにあこがれ私もああなりたいと思い、無駄に筋トレなどしたものである。

 

だが年を取るにつれ、パワータイプのキャラクターより、知恵や工夫で困難を乗り切るキャラクターの方を好きになるようになった。

 

三国志」でいえば、武将よりも軍師の方が良いと思うようになった。

 

もちろんこれは、肉体は加齢により劣化していくが、頭脳や精神は肉体よりも劣化しにくいというのを身をもって経験したからだ。

 

 

 

 

そんな私の最近一番好きなキャラクターは「ゴブリンスレイヤー」のゴブリンスレイヤーである。

 

ゴブリンスレイヤー」はモンスターや亜人類などがいるファンタジーの世界で、最下層ではあるが数が多く狡猾なモンスター・ゴブリンだけを狩る冒険者ゴブリンスレイヤーの話である。

 

「単なる害獣駆除業者の話」と揶揄される通り、シチュエーションは異なるものの基本的にはゴブリンを倒すだけの話だ。

 

だがそんな話の中で、私が惹かれるのはゴブリンスレイヤーの徹底ぶりだ。

 

ゴブリンスレイヤーは幼いころゴブリンたちに村を襲われ、姉や隣人を凌辱された上で殺されたため、復讐のため冒険者となる。

 

冒険者としてはきわめて平凡な能力しか持ち合わせていないが、平凡な能力しかないがゆえに、徹底的に考えゴブリンを殺すための対策を練る。

 

ゴブリンの生態・行動を完璧に把握し、ゴブリンを倒すためだけのあらゆる技能を身につけ、ゴブリンを倒すためならどんなアイテムも惜しみなく使う。

 

さらにはゴブリン対策のため普段から鎧兜を身につけ食事中も外さず、街の祭りのときなどにゴブリンに襲われないよう自主的に街の外で見張りをする。

 

これだけ徹底して自分の目的を達成するために特化したキャラクターはなかなかいない。

 

今後もゴブリンスレイヤーゴブリンスレイヤーっぷりを楽しんでいきたい。

チート②

ここ数年「チート系主人公」が活躍する、「所謂なろう系作品」が増えている。

 

異世界転生などをきっかけに、魔力や不老不死など転生先の世界で比肩するもののない程の能力を得るというものだ。

 

掲示板などでは「所謂なろう系作品」に対して賛否両論あるが、多数の作品がマルチメディア化されているのを見る限りは、一定数以上の支持層がいると思われる。

 

「所謂なろう系作品」が増えた理由は色々あるだろうが、最大のものは「制限が多く、挫折や敗北感を味あわされるなどストレスのかかる現実を忘れて、優越感・万能感を味わえる」ことだろう。

 

 

 

「所謂なろう系作品」の多くでは、作中人物のレベルやスキルなどのステータスが設定されており、作中人物はそれを自分自身で見ることができる。

 

たいていの場合主人公のレベルは他のキャラクターより圧倒的に高く、また所持スキルも他の作中人物のスキルよりもかなり上位のものである。

 

自分の強さを知っている主人公が、それを知らずに挑んでくる自分より明らかに弱い作中人物をあっという間に倒す、というのは「所謂なろう系作品」でよく見られる描写である。(その亜流として、他の作中人物が主人公のレベルやステータスを確認して、戦意喪失するとういうものもある。)

 

また主人公は転生前の記憶・知識を持っていることが多い。

 

主人公は転生先の世界(たいていは中世ヨーロッパ程度の文明レベル)でその知識を用いた発明・技術革新を行い、作中人物たちから賞賛を得る。

 

このように「自分よりも弱く知識もない(と設定された)人たちから絶対的な存在のようにあつかわれる」描写が多くの作品で見られるということは、現実ではそれを得られない読者が求めているからだと言えよう。

 

 

 

これを書いていてふと思ったが、読者が「所謂なろう系作品」に求めているようなものを味あわせてくれるものが現実にもあった。

 

銀座のクラブやキャバクラなど、女性が隣に座って接客をしてくれる飲み屋である。

 

どんなに職場や家庭でないがしろにされていたり、いろいろなことがうまくいっていなかったとしても、その店にいる間は隣に座ったきれいな女性がこちらをいい気分にさせてくれる。

 

その店にいる間だけは、あまり都合のよくない現実を忘れさせてくれるのだ。

 

 

 

女性の接客してくれる飲み屋と同様に、現実のストレスを発散させ明日への活力に繋げてくれるのならば、「所謂なろう系作品」は十分意味があるものと言えよう。

 

個人的には好きではないが。

 

 

 

※2019-08-04追記

 

「女性が隣に座って接客をしてくれる飲み屋」だけでなく風俗を含む水商売全般だな、とあとで気づいたので、訂正しておきます。

チート①

昔からチートはあった。

 

昔のPCゲームはプログラム解析・改変が比較的容易であったため、最初からレベル・ステータスが最強の状態に変更する人たちがいた。

 

ファミコンなどの家庭用ゲーム機になっても、改造ツールなどを用いてチートキャラを作成する人たちがいた。今は見かけることはないが、改造方法などを載せた雑誌が本屋に並んでいたものである。

 

現在も時折Youtubeなどでチートキャラを用いた動画が上げられている。

 

だがチートをして楽しいのか?

 

 

 

ゲーマーとしての私は「やり込み型」である。

 

レベル上げがあるゲームではMAXまでレベルをあげる。

 

武器やアイテム、ゲーム内での勲章なども可能なかぎりコンプリートを目指す。

 

チートをすれば、最初からレベルMAX、アイテム・装備コンプリート状態から開始出来るだろうが、それは全く意味のないことだ。

 

レベルを上げたりアイテム・装備を集める「過程」を楽しむためにゲームをしているのに、その「過程」をすっ飛ばしてしまえばゲームをすることの意味自体がなくなってしまう。

 

私にとってチートは、ゲームの楽しみを0にしてしまうものでしかない。

 

 

 

だが掲示板やまとめスレなどでみるかぎり、私は少数派のようである。

 

「レベル上げが面倒だ」「アイテム集めが面倒だ」などよく見かける意見である。

 

そして、この間ある意見を見て、強い衝撃を受けた。

 

「たかがゲーム、レベル上げやアイテム収集などのストレスを受けるようなことをしたくない」

 

ここまでくると、ゲームというものに対する考え方が全く違う別の人種としか言いようがない。

 

まあゲームの楽しみ方は人それぞれだからいいのだが......なるべくそういう人たちとは関わりたくないものである。

モバイルゲーム

 

私のゲーム歴は40年を超える。

 

ゲームウォッチから始まり、ファミコンをはじめとする各種家庭用ゲーム、MSXなどのゲーム専用PCなど、様々なハードでゲームをしてきた。

 

もちろん全てのハードを買った(買ってもらった)わけではなく、友人の家で遊ばせてもらったものも多々あるが。

 

またゲームセンターにも通い、業務用ゲームもいろいろしてきた。

 

就職したのちしばらくは忙しさからほとんどゲームができない時期もあったが、仕事に慣れ余裕ができるにつれ、またゲームをするようになった。

 

ただ昔のように複数のゲームを同時進行することはなく、一つのゲームをやりこむようになった。

 

よく5chなどで「歳をとるとレベル上げやアイテム収集などができなくなった」という話を目にするが、私はそのように感じたことがない。

 

昔も今もレベルは最高値まであげるし、アイテムはコンプリートするようにしている。

 

そんな私だが、モバイルゲームには全く手を出していない。

 

スマホを持っていないころは、携帯電話でできないゲームが多かったことやデータ通信料がかかることなどから、モバイルゲームを「やらない」のではなく「やれない」のであった。

 

しかしスマホに換えてからも、モバイルゲームをやろうとする気が全く起きないのである。

 

家族や友人、職場の同僚などがやっているのを見ているかぎり楽しそうなのだが、なぜかやる気が起きない。

 

その理由をいろいろ考えていたのだが、最近ようやくその答えが見つかった。

 

 

 

ゲームセンターに置いてあるゲームは、ゲームオーバーになった後高得点者のランキングが表示されることが多い。

 

そのランキングに名前が載ることは、ゲームセンターに通っていた当時の私にとって一種のステータスであった。

 

そのため他のプレイヤーのプレイを参考にして(その当時はYoutubeはもちろんインターネットすらなかった)、より高得点を取るように励んだものである。

 

ランキングに名前が載ったあとは、他のプレイヤーが私の名前を見ているだろうことを想像し、優越感に浸っていたものである。

 

だが、どんなゲームもいつかは古くなり、新しいゲームと入れ替えられる。

 

ランキングに私の名前が載ったゲームは、たいていある日突然なくなっていた。

 

仕方がないこととはいえ、私は強い喪失感を味あわざるを得なかった。

 

今までの努力は一体なんだったんだろう……。

 

たかがゲームだが、その当時の私の情熱・時間・金をかけたものが一瞬でなくなるのは辛いものである。

 

若かりしころはまだ気持ちを切り替えることができ、別のゲームを行なっていた。

 

しかし歳をとり人生の残り時間が短くなってきた今、情熱・時間・金をかけたものがなくなるのは我慢できない。

 

 

 

モバイルゲームも、いつ運営がサービスを中止するかはわからない。

 

近いところでは、あれだけ話題になった「テクテクテクテク」が2019年6月サービス中止になった。

 

また「モンスターハンターフロンティアZ」も2019年12月にサービス中止になるという。

 

サービス中止となれば、今までのプレイデータには一切関与することができなくなり、またあの喪失感を味あわなければならなくなる。

 

その喪失感をおそれて、私はモバイルゲームをしようとしないのだ。

 

今後ゲームがどのような形態になっていくのかはわからないが、運営のサーバーのみにソフトが存在する形態であるかぎり、私はモバイルゲームをしないであろう。

 

 

とりあえず

 

いろいろなものを観たり読んだりしていると、それらに対しての感想・意見を言いたくなることがある。

 

友人たちと飲みに行ったときなどに話すことは話すのだが、私をはじめ皆酔っているので最終的にはわけのわからない結論になるか、うやむやのまま終わってしまう。

 

会話したこと自体を忘れられればいいのだが、たいていの場合会話したことや内容を覚えているので、後で「言わなければいけなかったが言い忘れたこと」「うまく説明できなかったこと」があったな、とモヤモヤすることが多い。

 

そんな状態でいるのは精神衛生上良くないので、ここでいろいろ書かせてもらおうと思う。

 

あくまでも個人の備忘録的なものなので、読んで嫌な思いをしたり不快に感じた人は御勘弁を。