チート②
ここ数年「チート系主人公」が活躍する、「所謂なろう系作品」が増えている。
異世界転生などをきっかけに、魔力や不老不死など転生先の世界で比肩するもののない程の能力を得るというものだ。
掲示板などでは「所謂なろう系作品」に対して賛否両論あるが、多数の作品がマルチメディア化されているのを見る限りは、一定数以上の支持層がいると思われる。
「所謂なろう系作品」が増えた理由は色々あるだろうが、最大のものは「制限が多く、挫折や敗北感を味あわされるなどストレスのかかる現実を忘れて、優越感・万能感を味わえる」ことだろう。
「所謂なろう系作品」の多くでは、作中人物のレベルやスキルなどのステータスが設定されており、作中人物はそれを自分自身で見ることができる。
たいていの場合主人公のレベルは他のキャラクターより圧倒的に高く、また所持スキルも他の作中人物のスキルよりもかなり上位のものである。
自分の強さを知っている主人公が、それを知らずに挑んでくる自分より明らかに弱い作中人物をあっという間に倒す、というのは「所謂なろう系作品」でよく見られる描写である。(その亜流として、他の作中人物が主人公のレベルやステータスを確認して、戦意喪失するとういうものもある。)
また主人公は転生前の記憶・知識を持っていることが多い。
主人公は転生先の世界(たいていは中世ヨーロッパ程度の文明レベル)でその知識を用いた発明・技術革新を行い、作中人物たちから賞賛を得る。
このように「自分よりも弱く知識もない(と設定された)人たちから絶対的な存在のようにあつかわれる」描写が多くの作品で見られるということは、現実ではそれを得られない読者が求めているからだと言えよう。
これを書いていてふと思ったが、読者が「所謂なろう系作品」に求めているようなものを味あわせてくれるものが現実にもあった。
銀座のクラブやキャバクラなど、女性が隣に座って接客をしてくれる飲み屋である。
どんなに職場や家庭でないがしろにされていたり、いろいろなことがうまくいっていなかったとしても、その店にいる間は隣に座ったきれいな女性がこちらをいい気分にさせてくれる。
その店にいる間だけは、あまり都合のよくない現実を忘れさせてくれるのだ。
女性の接客してくれる飲み屋と同様に、現実のストレスを発散させ明日への活力に繋げてくれるのならば、「所謂なろう系作品」は十分意味があるものと言えよう。
個人的には好きではないが。
※2019-08-04追記
「女性が隣に座って接客をしてくれる飲み屋」だけでなく風俗を含む水商売全般だな、とあとで気づいたので、訂正しておきます。